
エリヤの時代のイスラエルについて考えてみましょう。アハブの時代には、さまざまな宗教的信条がありました。
神とその言葉に忠実で、神を創造主であり、すべての善の源であると認める人々がいました。一方、自然の起源とその法則、性別、そして現世の祝福の源について、より現代的または進歩的な見方をする人々もいました (PK 120.1)。
そして、その中間の人たちもいました(列王記上 18:21)。
『そのときエリヤはすべての民に近づいて言った、「あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい」。民はひと言も彼に答えなかった。』
一方の宗教は政府に好まれていましたが、もう一方の宗教はある程度容認されていました… 国際危機、疫病が起こるまでは。待ってください、いや、干ばつのことです。
ウイルス、つまり干ばつの起源については議論がありました。高位の人々の悪行によるものだと言う人もいました(列王記上 18:18)が、彼らは笑われ、軽蔑されました。
『彼は答えた、「わたしがイスラエルを悩ますのではありません。あなたと、あなたの父の家が悩ましたのです。あなたがたが主の命令を捨て、バアルに従ったためです。』
ほとんどの人は、それは単なる自然現象だと言いました。母なる自然が怒っていると示唆する人もいました。その後、干ばつを止める方法について議論が起こりました。神に立ち返り、神の法則(健康法)に従う必要があると言う人もいましたが、ほとんど無視されました。ほとんどの人は、生活様式を永久に変えたくありませんでした。彼らは手っ取り早い解決策を求めていました。政府はまさにそのような解決策を用意しており、その方法をすべての人に強制する責任を負いました。これらの方法は、同様の状況に直面した別の国で非常に効果的だったと報告されていませんでしたか(エレミヤ 44:15-18)。
*エレミヤ44:15-18
15 その時、自分の妻がほかの神々に香をたいたことを知っている人々、およびその所に立っている女たちの大いなる群衆、ならびにエジプトの地のパテロスに住んでいる民はエレミヤに答えて言った、
16 「あなたが主の名によってわたしたちに述べられた言葉は、わたしたちは聞くことができません。
17 わたしたちは誓ったことをみな行い、わたしたちが、もと行っていたように香を天后にたき、また酒をその前に注ぎます。すなわち、ユダの町々とエルサレムのちまたで、わたしたちとわたしたちの先祖たちおよびわたしたちの王たちと、わたしたちのつかさたちが行ったようにいたします。その時には、わたしたちは糧食には飽き、しあわせで、災に会いませんでした。
18 ところが、わたしたちが、天后に香をたくことをやめ、酒をその前に注がなくなった時から、すべての物に乏しくなり、つるぎとききんに滅ぼされました」。
反対する者は沈黙を守るよう命じられ、干ばつへの対処法に関する支配的な物語や政府の命令に反対の声を上げれば(列王記上 18:10)、非科学的とされ、疫病、つまり干ばつを長引かせ、蔓延させていると非難され、公共の場から締め出されたのです。
*列王記上18:10
次の日、神から来る悪霊がサウルにはげしく臨んで、サウルが家の中で狂いわめいたので、ダビデは、いつものように、手で琴をひいた。その時、サウルの手にやりがあったので、
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