「しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった」ガラテヤ4:4-5
しかしこの驚くべきイエスの初臨の目的は、罪から贖い出すことと神の子たる身分を授けるという永遠の命への道を開くためでした。それは天への招きです。イエスは罪にまみれた人類をこよなく愛され、ご自分の命と引き換えに私たちを罪から贖い出し、天のみ国への道を開かれたのでした。
これほどイエス・キリストの初臨の目的を明らかにしている聖句はありません。全天の司令官であられるイエスが地上に来られて、イエスがお生まれになった時は、ユダヤ人たちは、メシアの到来など全く興味を持っていませんでした。彼らが興味を持っていたのは、憎きローマの圧政から救ってくれるような王が華々しく到来することでした。当時の祭司や律法学者たちは堕落し背教していました。高慢、強欲、敬虔ぶること、律法主義に陥り、形だけの礼拝でした。しかし、そのような中にあっても、バプテスマのヨハネの家族や羊飼いたちなど、真の崇拝者もいたのです。彼らは真にメシアを待望していたのです。
現代の教会においてはどうでしょうか。世俗化が進んでいます。キリストの初臨の時と同様に再臨に対する態度はどうでしょう。現世での教会の繁栄には興味があるでしょう。しかしながら、現代の真理も講壇から聞かれなくなりました。
すでに日曜休業令も見え隠れしているのに、それが来たらどうなるのでしょうか。祈るばかりです。
アーメン!!
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